2013年05月04日
女子テニスの歴史を変えた衝撃の事件から20年
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今日のtennis365.netのニュースになっているけど、女子テニス界の歴史を大きく変えてしまった衝撃の事件からもう20年の月日が流れてしまったのね。
あの事件を知っている人はもちろん、あまり知らない若いテニス愛好者達にも、どうしても知って欲しい事件だし、決して忘れ去ってはいけない事件。“もし”あの事件がなかったら、本当に女子テニスの歴史は大きく変わっていたはずです。
1993年4月30日、19歳だったモニカ・セレスが、当時のライバルだったシュテフィ・グラフの祖国ドイツはハンブルグの大会に出場中、その準々決勝を対戦していて、マグナレーナ・マレーバに6-4、4-3とリードした時のコートチェンジの時にそれは起きたの。
観客席に背を向けてチェアーに座っていたセレスを、背後から熱狂的なグラフのファンが刃物で刺してきたの。
もちろん試合は中断。そしてセレスはそのまま病院へ運び込まれ、試合はそのままマレーバの不戦勝となったのよね。
18度のグランドスラム優勝を誇るナブラチロワは「セレスは、恐らくもっと多くの優勝を飾っていたでしょう。(24度の優勝の)マーガレット・コートやグラフを抜いて、グランドスラムの最多優勝者になっていたかもしれない。グラフは22度のグランドスラム優勝があるけど、あの時はライバルと呼べる選手がいなかった。あの事件の犯人は、女子テニスの歴史を大きく変えてしまった。それは疑う余地もない。」って語っているわ。
4歳半年上のグラフは、セレスが現れるまで世界ランク1位の座に付き、グラフの時代がしばらく続くかと思われたの。そして現れたセレスは、そのグラフをも倒す強さを見せて、グラフを抜いて世界ランク1位へと踊り出たの。
あの事件が無ければ、グラフのグランドスラム優勝の数は当然減っていただろうし、セレスの優勝回数だって当然増えていたはずだわ。
当時のセレスを知り、セレスと親交の厚いメアリー・ジョー・フェルナンデスも「セレスの記録を見ると、人々は忘れてしまうかもしれない。セレスは、9度のグランドスラム優勝がある。もちろんその事自体、素晴らしい事。でも、あの事件がなければ、少なくともその2倍のタイトルは獲得していたでしょう。当時の彼女は、全く別のレベルにいた。」ってセレスの凄さを語るほど。
背中の傷は治療を受ければ時間と共に完治して行ったけど、心に受けた傷はなかなか癒える事がなかったの。そして復帰までは2年4ヶ月と言う時間を要してしまったのよね。
その事件までにセレスは、すでに8回ものグランドスラム優勝を飾っていたんだけど、復帰後はわずか1回しかそのタイトルを獲得する事が出来なかったわ。
その事件はテニス界にも大きな影響を与えているの。特にセキュリティの面では選手を守るような体制をより取っているけど、ファンと選手の距離を遠ざけるのはファン・サービスと言う面からもちょっと難しい所よね。
今は試合が終わると、特に勝った選手はファンへのサインを熱心に行っているでしょ。ファンに取ってあれほど選手と距離を縮められる事は本当に嬉しい事。
あの事件は決して風化させてはいけないけど、今後も選手とファンの距離を縮める事が出来るように、ファンもマナーを守って選手と接して欲しいわね。
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あの事件を知っている人はもちろん、あまり知らない若いテニス愛好者達にも、どうしても知って欲しい事件だし、決して忘れ去ってはいけない事件。“もし”あの事件がなかったら、本当に女子テニスの歴史は大きく変わっていたはずです。
1993年4月30日、19歳だったモニカ・セレスが、当時のライバルだったシュテフィ・グラフの祖国ドイツはハンブルグの大会に出場中、その準々決勝を対戦していて、マグナレーナ・マレーバに6-4、4-3とリードした時のコートチェンジの時にそれは起きたの。
観客席に背を向けてチェアーに座っていたセレスを、背後から熱狂的なグラフのファンが刃物で刺してきたの。
もちろん試合は中断。そしてセレスはそのまま病院へ運び込まれ、試合はそのままマレーバの不戦勝となったのよね。
18度のグランドスラム優勝を誇るナブラチロワは「セレスは、恐らくもっと多くの優勝を飾っていたでしょう。(24度の優勝の)マーガレット・コートやグラフを抜いて、グランドスラムの最多優勝者になっていたかもしれない。グラフは22度のグランドスラム優勝があるけど、あの時はライバルと呼べる選手がいなかった。あの事件の犯人は、女子テニスの歴史を大きく変えてしまった。それは疑う余地もない。」って語っているわ。
4歳半年上のグラフは、セレスが現れるまで世界ランク1位の座に付き、グラフの時代がしばらく続くかと思われたの。そして現れたセレスは、そのグラフをも倒す強さを見せて、グラフを抜いて世界ランク1位へと踊り出たの。
あの事件が無ければ、グラフのグランドスラム優勝の数は当然減っていただろうし、セレスの優勝回数だって当然増えていたはずだわ。
当時のセレスを知り、セレスと親交の厚いメアリー・ジョー・フェルナンデスも「セレスの記録を見ると、人々は忘れてしまうかもしれない。セレスは、9度のグランドスラム優勝がある。もちろんその事自体、素晴らしい事。でも、あの事件がなければ、少なくともその2倍のタイトルは獲得していたでしょう。当時の彼女は、全く別のレベルにいた。」ってセレスの凄さを語るほど。
背中の傷は治療を受ければ時間と共に完治して行ったけど、心に受けた傷はなかなか癒える事がなかったの。そして復帰までは2年4ヶ月と言う時間を要してしまったのよね。
その事件までにセレスは、すでに8回ものグランドスラム優勝を飾っていたんだけど、復帰後はわずか1回しかそのタイトルを獲得する事が出来なかったわ。
その事件はテニス界にも大きな影響を与えているの。特にセキュリティの面では選手を守るような体制をより取っているけど、ファンと選手の距離を遠ざけるのはファン・サービスと言う面からもちょっと難しい所よね。
今は試合が終わると、特に勝った選手はファンへのサインを熱心に行っているでしょ。ファンに取ってあれほど選手と距離を縮められる事は本当に嬉しい事。
あの事件は決して風化させてはいけないけど、今後も選手とファンの距離を縮める事が出来るように、ファンもマナーを守って選手と接して欲しいわね。
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