2011年12月24日
ペルバクがカザフスタンへ&ルチッチが結婚
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ロシア出身で20歳のクセニア・ペルバクが、カザフスタン国籍を取得してカザフスタン人選手としてツアーを回る決断を下したの。ロシアはチェリャビンスク生まれでモスクワとドイツはベルリン在住のペルバクは、カザフスタンからの誘いを承諾してこの決断に至ったらしいわ。
今年9月にはタシケント・オープンで自身初のツアー優勝を飾って、その直後に自己最高位の37位を記録。今季は39位でシーズンを終えたの。
噂ではこの決断には、金銭的なものが大きく関わっているって言われているんだけど、女子プロテニス協会であるWTAの公式ホームページでは、すでにカザフスタン国籍として登録されていて、これを機会にしたのかは定かじゃないけど、名前も「Ksenia・Pervak」から「Xeniya・Pervak」へと変わっているの。
これはもちろん、カザフスタン代表としてフェドカップへ出場して欲しいと言う思いがあるのは当然で、来年のロンドン五輪出場も視野に入れているはず。もちろんそれにはまだ踏まなければならないステップが残ってはいるらしいんだけどね・・・。
でも、この決断にはロシアのコーチ陣から大きな非難を浴びているんだって。ロシアのフェドカップとデビスカップの監督を務めるシャミール・タルピシェフ氏は、ペルバクがオリンピック出場を希望しての決断だろうと語っているわ。
オリンピックは国を代表して出場し、国別に戦う競技大会。テニスでは特にロシアのように、トップ選手を多く輩出している国は、例えランキングが高くても人数制限があるから、39位にいるペルバクはロシア人選手としては7番目の選手で、ロシア代表として出場するのはほぼ不可能だからね。
ロシア・チームのコーチをしているブラジミール・カメルゾン氏は「今回の彼女の決断には、非常に困惑しているし怒りも感じている。納得がいかないし、受け入れる事が出来ない。」って怒りを露わにしているの。なぜならペルバクは、ロシア・テニス界のトップ選手育成方法の模範選手になっているかららしいわ。
こうしてロシアからカザフスタンへ国籍を変えた選手は他にもたくさんいるの。ヤロシュラバ・シュウェドワ、ガリーナ・ウォスコボエワ、ミカイル・ククシュキン、アンドレイ・ゴロベフ、エヴゲニー・コロレフらがそうなの。
ロシアにしてみたら、一生懸命育成して世界の舞台で活躍出来るようになった選手が、こんな形で国籍を変えて近い将来の敵になってしまうのは、ある意味での裏切りのように感じてしまうのは仕方ないことよね。
でも、選手にも選択権があることだし、こればっかりはどうしようも無いかも知れないわね・・・。
若干15歳でプロデビューを飾り、ランキングも持たない1997年4月には15歳2ヶ月で初めて出場したWTA大会で優勝を飾る快挙を成し遂げたのがミリャーナ・ルチッチ。2006年5月13日のブログでも彼女の復活を紹介してました。
そして驚きのツアー初優勝の翌年の1998年の全豪オープンでは、マルチナ・ヒンギスと組んで主催者推薦でダブルスに出場すると、何とそこでも優勝を飾ってしまったの。シングルスもダブルスも初出場初優勝と言う快挙を成し遂げ将来を期待された彼女だったんだけど、世界の舞台はそこまで甘いものでは無かったの。
お父さんとのトラブルや怪我に泣かされた彼女は、1997年から1999年までトップ100以内でシーズンを終えているけど、2000年以降は200位前後に落ちて、2003年は335位でシーズンを終えて、ツアーから姿を消してしまったの。
そして2007年から復帰を果たした彼女だけど、なかなかトップ100の壁を超えることが出来ず、去年の後半から徐々に勝ち星が増え始めて11月にトップ100への返り咲きに成功したの。
今年の7月には80位台にまで上昇させて、2000年以来となるグランドスラム全てに出場も果たして128位でシーズンを終えたわ。
そんな29歳の彼女は実は11月15日に生活の拠点を置いているアメリカはフロリダで挙式を挙げていたの。お相手はダニエル・バロニさんで、彼は一般のビジネスマンでもう5年もお付き合いをしていて、去年の12月にプロポーズをされていたんだって。
ハネムーンはフランス領ポリネシアにあるボラボラ島へ訪れる予定なんだけど、それはルチッチが来年の全豪オープンに出場した後のお楽しみなんだって。
彼女の復帰を振り返ると、バロニさんとお付き合いを始めた頃からツアーへ戻って徐々に復活して来ているから、来年も旦那様のサポートでまたトップ50への返り咲きを目指して欲しいわね!とりあえず、お幸せに~~~!!!
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ロシア出身で20歳のクセニア・ペルバクが、カザフスタン国籍を取得してカザフスタン人選手としてツアーを回る決断を下したの。ロシアはチェリャビンスク生まれでモスクワとドイツはベルリン在住のペルバクは、カザフスタンからの誘いを承諾してこの決断に至ったらしいわ。
今年9月にはタシケント・オープンで自身初のツアー優勝を飾って、その直後に自己最高位の37位を記録。今季は39位でシーズンを終えたの。
噂ではこの決断には、金銭的なものが大きく関わっているって言われているんだけど、女子プロテニス協会であるWTAの公式ホームページでは、すでにカザフスタン国籍として登録されていて、これを機会にしたのかは定かじゃないけど、名前も「Ksenia・Pervak」から「Xeniya・Pervak」へと変わっているの。
これはもちろん、カザフスタン代表としてフェドカップへ出場して欲しいと言う思いがあるのは当然で、来年のロンドン五輪出場も視野に入れているはず。もちろんそれにはまだ踏まなければならないステップが残ってはいるらしいんだけどね・・・。
でも、この決断にはロシアのコーチ陣から大きな非難を浴びているんだって。ロシアのフェドカップとデビスカップの監督を務めるシャミール・タルピシェフ氏は、ペルバクがオリンピック出場を希望しての決断だろうと語っているわ。
オリンピックは国を代表して出場し、国別に戦う競技大会。テニスでは特にロシアのように、トップ選手を多く輩出している国は、例えランキングが高くても人数制限があるから、39位にいるペルバクはロシア人選手としては7番目の選手で、ロシア代表として出場するのはほぼ不可能だからね。
ロシア・チームのコーチをしているブラジミール・カメルゾン氏は「今回の彼女の決断には、非常に困惑しているし怒りも感じている。納得がいかないし、受け入れる事が出来ない。」って怒りを露わにしているの。なぜならペルバクは、ロシア・テニス界のトップ選手育成方法の模範選手になっているかららしいわ。
こうしてロシアからカザフスタンへ国籍を変えた選手は他にもたくさんいるの。ヤロシュラバ・シュウェドワ、ガリーナ・ウォスコボエワ、ミカイル・ククシュキン、アンドレイ・ゴロベフ、エヴゲニー・コロレフらがそうなの。
ロシアにしてみたら、一生懸命育成して世界の舞台で活躍出来るようになった選手が、こんな形で国籍を変えて近い将来の敵になってしまうのは、ある意味での裏切りのように感じてしまうのは仕方ないことよね。
でも、選手にも選択権があることだし、こればっかりはどうしようも無いかも知れないわね・・・。
若干15歳でプロデビューを飾り、ランキングも持たない1997年4月には15歳2ヶ月で初めて出場したWTA大会で優勝を飾る快挙を成し遂げたのがミリャーナ・ルチッチ。2006年5月13日のブログでも彼女の復活を紹介してました。
そして驚きのツアー初優勝の翌年の1998年の全豪オープンでは、マルチナ・ヒンギスと組んで主催者推薦でダブルスに出場すると、何とそこでも優勝を飾ってしまったの。シングルスもダブルスも初出場初優勝と言う快挙を成し遂げ将来を期待された彼女だったんだけど、世界の舞台はそこまで甘いものでは無かったの。
お父さんとのトラブルや怪我に泣かされた彼女は、1997年から1999年までトップ100以内でシーズンを終えているけど、2000年以降は200位前後に落ちて、2003年は335位でシーズンを終えて、ツアーから姿を消してしまったの。
そして2007年から復帰を果たした彼女だけど、なかなかトップ100の壁を超えることが出来ず、去年の後半から徐々に勝ち星が増え始めて11月にトップ100への返り咲きに成功したの。
今年の7月には80位台にまで上昇させて、2000年以来となるグランドスラム全てに出場も果たして128位でシーズンを終えたわ。
そんな29歳の彼女は実は11月15日に生活の拠点を置いているアメリカはフロリダで挙式を挙げていたの。お相手はダニエル・バロニさんで、彼は一般のビジネスマンでもう5年もお付き合いをしていて、去年の12月にプロポーズをされていたんだって。
ハネムーンはフランス領ポリネシアにあるボラボラ島へ訪れる予定なんだけど、それはルチッチが来年の全豪オープンに出場した後のお楽しみなんだって。
彼女の復帰を振り返ると、バロニさんとお付き合いを始めた頃からツアーへ戻って徐々に復活して来ているから、来年も旦那様のサポートでまたトップ50への返り咲きを目指して欲しいわね!とりあえず、お幸せに~~~!!!
特にロシアはバレーボール選手とか多いみたいですね。
やっぱり競技をやる以上、五輪に出場したくなるのは自然ですが、
特にテニスは「プロ」だから難しいようですね。
ルッチチは昔、ラケットのネックが1本になってるバドミントンのようなラケットを使ってましたよね?
はぁ~、幸せを掴むと強くなれるんですね・・・
GB
オリンピックは国に分かれて争う競技大会だから、自国で4番手や5番手の選手でも、他の国へ行ったら1番や2番になれて、代表としての資格がもらえる可能性があるのなら、国籍を変えてでもその名誉を手に入れたいと思っている人は少なくないですね。
テニスもプロの参加が可能になって、賞金こそもらえないけど、ランキングポイントももらえるよになったから、出場したいって思う選手も多いはず。今回のペルバクの決断も分からないではないですね。
ルチッチ・・・当時そんなラケット使ってましたっけ???w
ブランクを乗り越えてどこまでプロとしてやって行くんでしょうね。プライベートも充実するとパフォーマンスも上がるんですね・・・(;^_^A