2009年10月04日
ありがとう、杉山愛選手
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杉山愛選手の最後の試合だった、東レPPOも幕を閉じました。親友であるダニエラ・ハンチュコバとのダブルスで決勝戦まで勝ち進み、最終日まで元気なプレーを見せてくれました。現役最後の試合を優勝では飾れなかったけど、しっかり燃え尽きたことでしょう。
日本の、そして世界のテニス史に大きな1ページを刻んでくれた杉山愛選手。17年と言う長いプロテニス人生でシングルスでは6つ、ダブルスでは実に38個ものタイトルを獲得して、何と言ってもグランドスラム連続出場62回の世界記録も打ち立てたのは、どれ程すごいことでしょうか!
実はPinkyがこうしてブログを書いているのも、杉山選手がいたからこそなんです。彼女の引退にあたって、彼女への感謝の気持ちを込めて、その経緯を初告白しちゃいます。
まだ、tennis365のサイトが始まる前、杉山選手がダブルスでは既に世界ランク1位について活躍していたけど、シングルスで爆発した2003年のシーズンに、Pinkyはずっと彼女の成績と毎週発表になる最新のランキングを追うようになっていたの。
今、出場している大会で、どこまで勝ち上がると来週発表のランキングがどこまで上がる・・・とか。それを個人が開いていたとあるサイトの掲示板に書き込みをするようになったの。加えて、他の選手の情報なども入手すると、同時に書き込みをしたりもしていたわ。
するとそのサイトの掲示板が徐々に賑わい出し、なぜかランキング博士とか呼ばれて、質問等ももらうようになり、それに答えたりもしていたの。幸いそのサイトのオーナーさんとは知り合いだったため、そんなやり取りも許してもらい、逆にどんどん書いてってくらいになって行ったの。
そうこうしているうちに、ランキングの仕組みや、ツアーの仕組み、色んな選手の情報通になって行ってしまいました。そして、このtennis365が開設される時に、その掲示板を見ていた方の繋がりで、お声を掛けて頂き、お手伝いさせて頂くことになったの。
最初は週に1度、前の週に行っていた大会を総括した『ツアー・レポート』と言うものを書かせてもらい、そのレポートの最後に「Pinky's Remarks」として、Pinky個人の意見や情報を書くようになったの。それが後々ブログとして、現在のようなスタイルへと変わっていったのでした。
だから、こうしてこのブログを書いているのも、考えてみたら杉山愛選手がいたからこそなのです!
Pinkyが個人的に、杉山選手に対してとても印象に残っているのは、ブレークのきっかけと言っても過言ではない、2003年2月にアメリカはアリゾナ州で行われた「ステート・ファーム・クラシック(だったかな)」で、彼女が始めてティア2大会で優勝した試合です。
翌日のアメリカのメディアでは「杉山スラム」と言うタイトルで彼女の成績を称えてました。
その大会は悪天候でスケジュールが押してしまって、キム・クライシュテルスと組んだダブルスでも勝ち残っていた彼女は、シングルスもダブルスも、最終日に準決勝と決勝の4試合を行い、その全てに勝利して、ダブル優勝を果たしたのでした。
シングルスでは既にリンゼイ・ダベンポートを下すなど勢いを見せ、準決勝ではアレキサンドラ・スティーブンソンをフルセットで、決勝では当時絶好調だったキムをもフルセットで撃破しての優勝でした。シングルスとダブルス合わせて1日で100ゲームも戦ったの。実はPinky、その時の決勝戦は今でもビデオで持っていて、たまに観たりもしてるんですよ。
Pinky's Remarksとは切っても切れないのが杉山愛選手なのでした。本当に彼女には、「お疲れ様でした」そして「ありがとう」の言葉をかけたいと思います。今後の第2の人生でも、きっと素晴らしい活躍を見せてくれることでしょう。本当にありがとう~!
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杉山愛選手の最後の試合だった、東レPPOも幕を閉じました。親友であるダニエラ・ハンチュコバとのダブルスで決勝戦まで勝ち進み、最終日まで元気なプレーを見せてくれました。現役最後の試合を優勝では飾れなかったけど、しっかり燃え尽きたことでしょう。
日本の、そして世界のテニス史に大きな1ページを刻んでくれた杉山愛選手。17年と言う長いプロテニス人生でシングルスでは6つ、ダブルスでは実に38個ものタイトルを獲得して、何と言ってもグランドスラム連続出場62回の世界記録も打ち立てたのは、どれ程すごいことでしょうか!
実はPinkyがこうしてブログを書いているのも、杉山選手がいたからこそなんです。彼女の引退にあたって、彼女への感謝の気持ちを込めて、その経緯を初告白しちゃいます。
まだ、tennis365のサイトが始まる前、杉山選手がダブルスでは既に世界ランク1位について活躍していたけど、シングルスで爆発した2003年のシーズンに、Pinkyはずっと彼女の成績と毎週発表になる最新のランキングを追うようになっていたの。
今、出場している大会で、どこまで勝ち上がると来週発表のランキングがどこまで上がる・・・とか。それを個人が開いていたとあるサイトの掲示板に書き込みをするようになったの。加えて、他の選手の情報なども入手すると、同時に書き込みをしたりもしていたわ。
するとそのサイトの掲示板が徐々に賑わい出し、なぜかランキング博士とか呼ばれて、質問等ももらうようになり、それに答えたりもしていたの。幸いそのサイトのオーナーさんとは知り合いだったため、そんなやり取りも許してもらい、逆にどんどん書いてってくらいになって行ったの。
そうこうしているうちに、ランキングの仕組みや、ツアーの仕組み、色んな選手の情報通になって行ってしまいました。そして、このtennis365が開設される時に、その掲示板を見ていた方の繋がりで、お声を掛けて頂き、お手伝いさせて頂くことになったの。
最初は週に1度、前の週に行っていた大会を総括した『ツアー・レポート』と言うものを書かせてもらい、そのレポートの最後に「Pinky's Remarks」として、Pinky個人の意見や情報を書くようになったの。それが後々ブログとして、現在のようなスタイルへと変わっていったのでした。
だから、こうしてこのブログを書いているのも、考えてみたら杉山愛選手がいたからこそなのです!
Pinkyが個人的に、杉山選手に対してとても印象に残っているのは、ブレークのきっかけと言っても過言ではない、2003年2月にアメリカはアリゾナ州で行われた「ステート・ファーム・クラシック(だったかな)」で、彼女が始めてティア2大会で優勝した試合です。
翌日のアメリカのメディアでは「杉山スラム」と言うタイトルで彼女の成績を称えてました。
その大会は悪天候でスケジュールが押してしまって、キム・クライシュテルスと組んだダブルスでも勝ち残っていた彼女は、シングルスもダブルスも、最終日に準決勝と決勝の4試合を行い、その全てに勝利して、ダブル優勝を果たしたのでした。
シングルスでは既にリンゼイ・ダベンポートを下すなど勢いを見せ、準決勝ではアレキサンドラ・スティーブンソンをフルセットで、決勝では当時絶好調だったキムをもフルセットで撃破しての優勝でした。シングルスとダブルス合わせて1日で100ゲームも戦ったの。実はPinky、その時の決勝戦は今でもビデオで持っていて、たまに観たりもしてるんですよ。
Pinky's Remarksとは切っても切れないのが杉山愛選手なのでした。本当に彼女には、「お疲れ様でした」そして「ありがとう」の言葉をかけたいと思います。今後の第2の人生でも、きっと素晴らしい活躍を見せてくれることでしょう。本当にありがとう~!