2011年10月29日
アメリカ人?それともロシア人???
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28歳ながら現在自己最高位の世界ランク36位まで上昇しているのが、アレックス・ボゴモロフ・ジュニア。プロ転向後、ずっとアメリカ人としてツアーを回っている彼だけど、実は彼が生まれたのはロシアのモスクワ。そして彼は今、ロシア人としてプレーしたいって思っているんだって。
彼のお父さんは元ソビエト連邦のナショナル・テニス・コーチで、かつてはラリッサ・ネイランド、イェブゲニー・カフェルニコフ、アンドレイ・メドヴェデフなどを師事して世界へ送りだした名コーチで、お母さんも高校でテニスを教えているテニス一家なの。
そんな彼は家族と一緒に幼少の頃にメキシコに移り住んで、数年後、彼が9歳の時にアメリカへ移住して来たの。その後はアメリカ国内のジュニア大会で活躍するなど、頭角を現して注目を集めたんだって。
実は彼のお父さんは、2003年に当時アメリカのジュニア育成に携わっていたらしいんだけど、アメリカのジュニア育成の倫理が自身の考えと合わないことを理由に、ロシアへ戻る決断を下したの。でも家族はそのままアメリカに残ることになったんだって。
去年の夏、彼はメディアのインタビューに「父にはもう3年以上会ってない」って語っていたんだけど、先週のモスクワ大会と今週のサンクトペテルブルグ大会に出場するためにロシア入りした彼は、お父さんと再会を果たしてわだかまりも解消したようなの。
そんな彼は今、彼のルーツであるロシアを代表して今後のプロ人生を送りたいって気持ちを明らかにして、来年2月にある国別対抗戦のデビスカップではロシア代表として戦いたいって語っているの。
現在の彼は、アメリカ人としては4番目の選手だけど、2002年にプロ転向してから、アメリカのナショナル・チームの代表に呼ばれることはなかったの。現在のランキングでは、彼はロシア人としてはナンバー1にあたることから、彼もロシアのエースとして戦いたいって思ったのかも知れないわね。
ボゴモロフ・ジュニアはアメリカとロシアの両方の国籍を持っているんだけど、国際テニス協会(ITF)の決まりでは、彼のように2つ以上の国籍を持つ選手は、当初登録した国とは違う国を代表してデビスカップでプレーするには、その試合の6ヶ月前に申請が必要で、その後にデビスカップ・コミッティーの承認を得る必要があるんだって。
情報によると、ボゴモロフ・ジュニアは既にITFに申請書を提出済みだって言うわ。これが了承されたら、来年のデビスカップの1回戦のオーストリア戦に、ロシア代表として出場することが可能になるの。
来年はロンドン・オリンピックも開かれるけど、もし彼がロシア人として戦うことを選んだ場合、実は来年のオリンピックには出場できなくなってしまうの。
オリンピックに国を代表して出場するには、オリンピックより1年前にその国を代表してデビスカップで戦わなければならないって規定があって、その規定をクリアーすることは出来ないからなの。
つまり彼は、オリンピック出場より、来年からロシア人として戦うことを選んだって言うことなのよね。
でもそんな彼の主張に対してアメリカ・テニス連盟であるUSTAはお怒りなの!USTA曰く、彼には長年、経済的サポートも続けてきたし、大会出場に必要な旅費や無料でコーチを付けたりと、長年サポートを続けてきたって主張してるの。
それにフロリダにあるアメリカ・ナショナル・テニス・センターで練習することも許して来たり、彼のテニス選手としての育成に力注いできたって言うわけ。そこまで面倒見ていたのなら、文句も言いたくなるわよね。
でも、ボゴモロフ・ジュニアにとっては、真の祖国であるロシアへの思いがあるのも分からないでもないわね。オリンピックを捨ててでもロシア代表になりたいのは、この2週間をロシアで過ごして、お父さんとも和解したことが大きな要因なんじゃないでしょうか。
そう言えばかつて、ドミトリー・ツルスノフがアメリカ人としてプレーしたいって語っていたことがあったけど、現在もロシア人としてツアーを回っていますね。彼は12歳でアメリカへ渡ってプロになって、その後16年経った今でもアメリカに拠点を置いてはいるけど、ロシア人としてのステータスのままですね。
まさか14歳からアメリカへ渡った錦織圭選手が将来アメリカ人としてプレーしたい、なんてことには・・・ならないか(汗)
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28歳ながら現在自己最高位の世界ランク36位まで上昇しているのが、アレックス・ボゴモロフ・ジュニア。プロ転向後、ずっとアメリカ人としてツアーを回っている彼だけど、実は彼が生まれたのはロシアのモスクワ。そして彼は今、ロシア人としてプレーしたいって思っているんだって。
彼のお父さんは元ソビエト連邦のナショナル・テニス・コーチで、かつてはラリッサ・ネイランド、イェブゲニー・カフェルニコフ、アンドレイ・メドヴェデフなどを師事して世界へ送りだした名コーチで、お母さんも高校でテニスを教えているテニス一家なの。
そんな彼は家族と一緒に幼少の頃にメキシコに移り住んで、数年後、彼が9歳の時にアメリカへ移住して来たの。その後はアメリカ国内のジュニア大会で活躍するなど、頭角を現して注目を集めたんだって。
実は彼のお父さんは、2003年に当時アメリカのジュニア育成に携わっていたらしいんだけど、アメリカのジュニア育成の倫理が自身の考えと合わないことを理由に、ロシアへ戻る決断を下したの。でも家族はそのままアメリカに残ることになったんだって。
去年の夏、彼はメディアのインタビューに「父にはもう3年以上会ってない」って語っていたんだけど、先週のモスクワ大会と今週のサンクトペテルブルグ大会に出場するためにロシア入りした彼は、お父さんと再会を果たしてわだかまりも解消したようなの。
そんな彼は今、彼のルーツであるロシアを代表して今後のプロ人生を送りたいって気持ちを明らかにして、来年2月にある国別対抗戦のデビスカップではロシア代表として戦いたいって語っているの。
現在の彼は、アメリカ人としては4番目の選手だけど、2002年にプロ転向してから、アメリカのナショナル・チームの代表に呼ばれることはなかったの。現在のランキングでは、彼はロシア人としてはナンバー1にあたることから、彼もロシアのエースとして戦いたいって思ったのかも知れないわね。
ボゴモロフ・ジュニアはアメリカとロシアの両方の国籍を持っているんだけど、国際テニス協会(ITF)の決まりでは、彼のように2つ以上の国籍を持つ選手は、当初登録した国とは違う国を代表してデビスカップでプレーするには、その試合の6ヶ月前に申請が必要で、その後にデビスカップ・コミッティーの承認を得る必要があるんだって。
情報によると、ボゴモロフ・ジュニアは既にITFに申請書を提出済みだって言うわ。これが了承されたら、来年のデビスカップの1回戦のオーストリア戦に、ロシア代表として出場することが可能になるの。
来年はロンドン・オリンピックも開かれるけど、もし彼がロシア人として戦うことを選んだ場合、実は来年のオリンピックには出場できなくなってしまうの。
オリンピックに国を代表して出場するには、オリンピックより1年前にその国を代表してデビスカップで戦わなければならないって規定があって、その規定をクリアーすることは出来ないからなの。
つまり彼は、オリンピック出場より、来年からロシア人として戦うことを選んだって言うことなのよね。
でもそんな彼の主張に対してアメリカ・テニス連盟であるUSTAはお怒りなの!USTA曰く、彼には長年、経済的サポートも続けてきたし、大会出場に必要な旅費や無料でコーチを付けたりと、長年サポートを続けてきたって主張してるの。
それにフロリダにあるアメリカ・ナショナル・テニス・センターで練習することも許して来たり、彼のテニス選手としての育成に力注いできたって言うわけ。そこまで面倒見ていたのなら、文句も言いたくなるわよね。
でも、ボゴモロフ・ジュニアにとっては、真の祖国であるロシアへの思いがあるのも分からないでもないわね。オリンピックを捨ててでもロシア代表になりたいのは、この2週間をロシアで過ごして、お父さんとも和解したことが大きな要因なんじゃないでしょうか。
そう言えばかつて、ドミトリー・ツルスノフがアメリカ人としてプレーしたいって語っていたことがあったけど、現在もロシア人としてツアーを回っていますね。彼は12歳でアメリカへ渡ってプロになって、その後16年経った今でもアメリカに拠点を置いてはいるけど、ロシア人としてのステータスのままですね。
まさか14歳からアメリカへ渡った錦織圭選手が将来アメリカ人としてプレーしたい、なんてことには・・・ならないか(汗)