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テニス史の40年を振り返っているこのシリーズの第3弾は、1988年から97年頃を覗いてみたいと思います。

ジミー・コナーズやジョン・マッケンローが築いた男子テニス王国アメリカの次の世代は、更に大物の選手の登場となったわ。

アンドレ・
アガシ、マイケル・チャン、ジム・クーリア、ピート・サンプラスと言う、そうそうたる顔ぶれ。

この4人でグランドスラムのシングルス・タイトルだけで27個にも上り、チャン以外の3人は世界ランク1位になった選手。

そのチャンだって1996年には堂々の2位になっているんですものね。

その頃の女子は、シュテフィ・グラフの独壇場状態。

19歳だった1988年には年間グランドスラムを達成し、加えてソウル・オリンピックでも金メダルを獲得して、テニス史上唯一のゴールデン・スラムも達成したの。

引退した1999年にも最後のメジャー・タイトルとなる全仏オープンを制し、その時の男子チャンピオンのアガシとはその夏の終わりに交際が発覚して結婚へと繋がったの。

1991年、39歳にしてUSオープンでベスト4入りを果たしたコナーズ。

どんなサーフェースでも戦えるオールラウンド・プレーヤーだったけど、1993年5月に40歳8ヶ月で、20年間のプロ生活にお別れをした偉大なる選手ね。

グラフ時代を脅かした存在だったのがモニカ・セレスだったけど、彼女はとても不幸な出来事に見舞われてしまったの。

グラフに代わって女王の座に着いた彼女は、1993年5月、グラフの地元であるドイツはハンブルグの大会に出場していた時、グラフの熱心なファンに背中を刺されてしまったの。

2年間以上もコートに戻って来れなかった彼女は、その期間はグラフとのダブル1位としてランキングに名前が残る特別措置が取られたわ。

復帰戦となったカナディアン・オープンでは見事優勝。

その後のUSオープンでは決勝でグラフと対戦し、準優勝だったけど元気は姿を見せてくれたわ。

翌年の全豪オープンで優勝するも、その後メジャー・タイトルを獲得することはできなかったのよね。

1994年にアメリカから恐るべき姉妹がデビューを飾るわ。

当時14歳だった
ヴィーナス・ウィリアムズで、妹のセリーナも14歳で翌年デビューを飾るの

2人は貧しい家庭に生まれたけど、お父さんの指導によりその才能は開花。

1997年にヴィーナスは地元USオープンで準優勝を上げて、シンデレラ・ストーリーを手に入れたわ。

同じ1994年には天才少女もデビューを飾るの。

若干13歳でツアー・デビューを果たしたのはマルチナ・
ヒンギスで、その年の年末ランキングではいきなり87位とトップ100入り。

1997年には16歳6ヶ月の若さで世界ランク1位に上り詰めた彼女は、パワー・テニスの流れの中で、バリエーションに富んだテクニックと試合巧者としてその地位を確立したのよね。

1997年の全仏オープンでは当時世界ランク66位のグスタボ・クエルテンがセンセーショナルな優勝を果たしたの。

グーガの相性で親しまれている彼は、2000には2度目の全仏制覇を果たし12月に世界ランク1位の座に着き、南米出身者として唯一の年末ランキング1位でシーズンを終えたの。

USオープンがフォレスト・ヒルズからフラッシング・メドウへと大会会場を移して20年の月日が流れた1997年、会場のほとんど全てがリニューアルされて、当時最大のスタジアムが作られたの。

2万3千人が収容できるそのスタジアムは、1968年にUSオープンを制した名選手の名前が付けられ、“アーサー・アッシュ・スタジアム”と呼ばれて現在に至るわ。

1990年には男子ツアーであるATPがツアー改革を行ったの。

4つのグランドスラムの下にトップ選手が出場を必須とする9つのビッグ・トーナメントを設けたの。

今季のマスターズ・シリーズ(来季のワールド・ツアー・マスターズ1000)がそれで、現在もそのシステムが使われているわね。
