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日本期待の新星、錦織圭君がATP公式サイトに新しく加えられたコンテンツである『DEUCE MAGAZINE』のコーナーで紹介されてます。

彼はもう、日本の星ではなく、男子テニス界の星になりつつあるって証拠なんじゃないでしょうか。

トップ100にいる選手の最年少プレーヤーである圭君。

何と言っても2月のデルレイ・ビーチで松岡修造さん以来となる16年ぶりの日本人ツアー優勝を成し遂げ、一躍時の人になったのは記憶に新しいわよね。

そんな彼が東京で行われたAIGジャパン・オープンへ出場のため凱旋帰国した時。

お台場にあるホテル『グラン・パシフィック・ル・ダイバ』で行われた記者会見には、数えきれないほどのカメラマンと記者が集まって、IMGのマネージャーのオリビエ・ヴァン=リンドンコ氏も驚きを隠せずにいたわ。

「地元開催の大会に出場する選手は、必ず多くのメディアの注目を集めるのは言うまでもない。しかし、9月の東京での圭の注目度の高さは、これまでの日本では見たこともないものだった。それはウィンブルドンで優勝した選手が集めるのと同じくらいの、すごいものだった。」って、その凄さを表しておりました。

松岡修造氏の『修造チャレンジ』でその才能を見いだされた圭君は、13歳でアメリカへ渡って“ニック・ボロテリー・テニスアカデミー”の門をたたいたの。

直前の12歳の時に、3週間のトライアル留学をしたんだって。

それはかなり厳しいものだったらしいんだけど、当の本人はそれでも楽しいって感じたんだって。

1981年からアカデミーのヘッド・コーチをしているガベ・ジャラミーヨ氏は、当時の圭君をこう振り返ってます。

「当時からすごい才能を感じさせた。トライアルの時にあらゆる状況に適応したプレーができることをコーチ達に示し、アメリカでの生活にも順応できることを証明したんだ。フォアハンドは群を抜いていた。ボレーはお粗末で、サーブの技術は素人同然だった。」
アメリカへ行った時は、全く英語がしゃべれなかった圭君。

それでも、ホームシックにもならなかったんだって。

それは、毎日テニス付けで、苦手のサーブの技術を磨くことと同時に、日々あらゆるテクニックを習得して、ホームシックになる暇もなかったんだとか。

日本人最高だった松岡氏の46位を破るべく、彼のために組まれた『プロジェクト45』。

今はそれも夢物語ではなく、かなり現実味を帯びてきましたね。

現在のランキングだと、来年の全豪オープンにはストレート・インが確実。

そこで成績を収めれば、どんどんランキングを上げることは必至。

その後はデルレイ・ビーチの2連覇を目指し、自身2度目のタイトル獲得も視野に入れてのツアーになることでしょう。

日本は元より、ダイナミックな“エアーK”は、多くのテニス・ファンを魅了してますね。

その証拠に、第2の故郷であるアメリカは当然ながら、ヨーロッパでも彼のファンの多さに驚くほど。

その期待とプレッシャーに負けないで、来シーズンも更なるブレークを上げて欲しいですね!!!
