2012年04月20日
シングルスからの引退
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今季の開幕と同時に、元世界ランク14位のアンナ=レナ・グローネフェルドがシングルスからの引退を表明してダブルスに専念する事にしたんだけど、同じようにシングルスから引退してダブルスで現役を続ける選手がいます。
ヌリア・ヤゴステラ=ビベス、31歳。彼女は2005年には自己最高位35位まで行きながら、その翌年の3月には手首を骨折してしまって、その後のシーズン全てを棒に振ってしまったの!
2007年に復帰するも一時60位台まではランキングを戻したけど、それもすぐに100位前後に落ちてしまって、再びトップ50入りすることはなかったのよね。
「2006年のマイアミでの1回戦で手首を骨折してしまって棄権を強いられたの。その後1年間はラケットも握れなかった。手首のある種の感覚や動く範囲を失ってしまったの。またテニスを再開した時には、手に感触がなくて、最悪だったしがっかりしてしまったわ。」
そのマイアミ大会の1回戦の対戦相手は、奇しくも日本の浅越しのぶ選手だったのよね。
「その後は二度とトップ50には戻れなかった。それが手術のせいなのか、以前のような気持ちを持てないからなのかは定かではなかったけど、それでも常に期待はしていたの。あるドクターはもう二度と復帰は出来ないと言う人もいたくらいだから、こうして復帰して、その後も数年間プレーが出来た事は嬉しく思っているわ。そして、今後ももうちょっと続けられたらって思っているの。」
復帰後は、2008年にはシングルスで自身2度目のツアー優勝を飾って、翌2009年にはマリア・ホセ・マルチネス=サンチェスとのペアーで6大会で優勝して、その年のツアー最終戦に出場して、そこでもその年7度目の優勝を飾ったの。2010年もマルチネス=サンチェスとのペアーで1度ダブルス優勝を成し遂げて、2011年からアランチャ・パーラ=サントンハと組んでここまで2度のタイトルを獲得するなど、ダブルスでは世界の舞台で活躍を続けているの。
「シングルスでの一番の思い出は優勝した2つの大会。そして2005年の全仏オープンで4回戦進出を果たした事。そして2008年のフェドカップでスペイン・チームの一員として準優勝した事ね。フェドカップの準決勝の中国戦は特に思い出深いし、オリンピックに出場出来た事も良い思い出。」
「それでも徐々に状況は難しくなって行ったの。ダブルスではランキングも上がって行ったけど、シングルスではそうじゃなかった。大きな大会では、シングルスは予選から出場しなければならなくて、なかなか本戦入りも出来なくなってしまった。肉体的にも精神的にも厳しい状態になってしまったの。そして最終的に、何かを変えなければと悟ったわ。」
去年のシーズン中にシングルスでの引退を考えるようになった彼女。シングルスの最後の試合になってしまった去年10月のロシアはモスクワ大会の予選1回戦では、わずか1ゲームしか取れず敗退してしまって、その時に引退の意思が固まったみたいなの。
「肉体的にも精神的に疲れてしまっていたわ。でも一番の要因は、もう楽しめなくなってしまった事なの。良いプレーをするためには、エンジョイする事が必要だからね。」
そう語るヤゴステラ=ビベスは、ダブルスでは2009年に5位にまで上がって、現在も20位と世界のトップを維持しているの。今年も去年と同じく同じスペインのパーラ=サントンハと組んでプレーを続けて、すでに1度、このペアーで2度目の優勝も飾っているのよね。
「明らかに以前ほどの練習量はしていないわ。かつての半分くらいね。お陰で余暇が増えて、ショッピングや観光などにも行けるようになったの。それは世界を転戦していて、以前からやりたかった事なの。今は自分自身のための時間もより取れるようになったわ。そうする事で、もっと人生を楽しむ事も出来るようになったの。」
って、今のライフスタイルを楽しんでいるんだって。2005年頃は、トップ100選手の中で、一番小さい選手が日本の藤原里華選手の155cmで、それに次いでヤゴステラ=ビベスの156cmだったのを記憶してるわ!
そんな小柄な体ながら、世界の舞台で活躍し続けていたけど、やっぱり怪我はそれを続ける段階で、大きな壁になってしまったようね。でも、テニスにはダブルスと言う道もあるのは事実。そしてそのダブルスを上手くプレー出来ると言う幸運に恵まれているから、こうしてある意味、晩年になっても現役選手でいられるのよね。
シングルスプレーヤーの中には、ダブルスはちょっとお粗末・・・って言う選手もたくさんいるからね!ヤゴステラ=ビベスも、今後はダブルスでまだまだ世界の舞台で活躍して欲しいですね。
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今季の開幕と同時に、元世界ランク14位のアンナ=レナ・グローネフェルドがシングルスからの引退を表明してダブルスに専念する事にしたんだけど、同じようにシングルスから引退してダブルスで現役を続ける選手がいます。
ヌリア・ヤゴステラ=ビベス、31歳。彼女は2005年には自己最高位35位まで行きながら、その翌年の3月には手首を骨折してしまって、その後のシーズン全てを棒に振ってしまったの!
2007年に復帰するも一時60位台まではランキングを戻したけど、それもすぐに100位前後に落ちてしまって、再びトップ50入りすることはなかったのよね。
「2006年のマイアミでの1回戦で手首を骨折してしまって棄権を強いられたの。その後1年間はラケットも握れなかった。手首のある種の感覚や動く範囲を失ってしまったの。またテニスを再開した時には、手に感触がなくて、最悪だったしがっかりしてしまったわ。」
そのマイアミ大会の1回戦の対戦相手は、奇しくも日本の浅越しのぶ選手だったのよね。
「その後は二度とトップ50には戻れなかった。それが手術のせいなのか、以前のような気持ちを持てないからなのかは定かではなかったけど、それでも常に期待はしていたの。あるドクターはもう二度と復帰は出来ないと言う人もいたくらいだから、こうして復帰して、その後も数年間プレーが出来た事は嬉しく思っているわ。そして、今後ももうちょっと続けられたらって思っているの。」
復帰後は、2008年にはシングルスで自身2度目のツアー優勝を飾って、翌2009年にはマリア・ホセ・マルチネス=サンチェスとのペアーで6大会で優勝して、その年のツアー最終戦に出場して、そこでもその年7度目の優勝を飾ったの。2010年もマルチネス=サンチェスとのペアーで1度ダブルス優勝を成し遂げて、2011年からアランチャ・パーラ=サントンハと組んでここまで2度のタイトルを獲得するなど、ダブルスでは世界の舞台で活躍を続けているの。
「シングルスでの一番の思い出は優勝した2つの大会。そして2005年の全仏オープンで4回戦進出を果たした事。そして2008年のフェドカップでスペイン・チームの一員として準優勝した事ね。フェドカップの準決勝の中国戦は特に思い出深いし、オリンピックに出場出来た事も良い思い出。」
「それでも徐々に状況は難しくなって行ったの。ダブルスではランキングも上がって行ったけど、シングルスではそうじゃなかった。大きな大会では、シングルスは予選から出場しなければならなくて、なかなか本戦入りも出来なくなってしまった。肉体的にも精神的にも厳しい状態になってしまったの。そして最終的に、何かを変えなければと悟ったわ。」
去年のシーズン中にシングルスでの引退を考えるようになった彼女。シングルスの最後の試合になってしまった去年10月のロシアはモスクワ大会の予選1回戦では、わずか1ゲームしか取れず敗退してしまって、その時に引退の意思が固まったみたいなの。
「肉体的にも精神的に疲れてしまっていたわ。でも一番の要因は、もう楽しめなくなってしまった事なの。良いプレーをするためには、エンジョイする事が必要だからね。」
そう語るヤゴステラ=ビベスは、ダブルスでは2009年に5位にまで上がって、現在も20位と世界のトップを維持しているの。今年も去年と同じく同じスペインのパーラ=サントンハと組んでプレーを続けて、すでに1度、このペアーで2度目の優勝も飾っているのよね。
「明らかに以前ほどの練習量はしていないわ。かつての半分くらいね。お陰で余暇が増えて、ショッピングや観光などにも行けるようになったの。それは世界を転戦していて、以前からやりたかった事なの。今は自分自身のための時間もより取れるようになったわ。そうする事で、もっと人生を楽しむ事も出来るようになったの。」
って、今のライフスタイルを楽しんでいるんだって。2005年頃は、トップ100選手の中で、一番小さい選手が日本の藤原里華選手の155cmで、それに次いでヤゴステラ=ビベスの156cmだったのを記憶してるわ!
そんな小柄な体ながら、世界の舞台で活躍し続けていたけど、やっぱり怪我はそれを続ける段階で、大きな壁になってしまったようね。でも、テニスにはダブルスと言う道もあるのは事実。そしてそのダブルスを上手くプレー出来ると言う幸運に恵まれているから、こうしてある意味、晩年になっても現役選手でいられるのよね。
シングルスプレーヤーの中には、ダブルスはちょっとお粗末・・・って言う選手もたくさんいるからね!ヤゴステラ=ビベスも、今後はダブルスでまだまだ世界の舞台で活躍して欲しいですね。