2007年05月07日
キムの引退
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もうみなさんもニュースなどでご存知かと思いますが、キム・クレイステルスが引退を発表しました。これまでは、今シーズンを最後にコートを離れるって言う予定だったんだけど、結婚の準備に追われながらの調整は難しかったみたいね。このtennis365のニュースでも紹介してるけど、そんな彼女のコメントやテニス人生のハイライトをご紹介しましょう。
「テニス人生でこれまで成し遂げてきたことを本当に誇りに思うわ。9年前にプロになった時に、9年後にはこれほどの成績を収めることができるって誰かに言われたら“冗談でしょ!”って言っていたはず。テニス選手になれたからこそ世界中を飛び回って、たくさんの友達を作ることもできたの。それが一番大切に思えることだわ。トロフィーや賞品なんかは比べ物にならないくらい。素晴らしい友達ができたことが最高の喜び。それに加えて、家族の支えやコーチの助けがなかったら、こんな成績を収めることはできなかったし、本当に感謝してるわ。加えて、ファンの方々の声援や、メディアのサポートにも感謝の意を送りたい。」
「テニスに関して言えば、USオープンの優勝と、ツアー最終戦に2回も優勝できたことが何よりも最高の思い出。忘れられない試合は、1999年のUSオープン3回戦で、敗れてしまったけど、セリーナとの戦い(当時キムはランキング98位でセリーナは6位)。ファイナルセットを5-3でリードしていた時は鳥肌物だったわ。2002年10月のドイツの大会の準決勝でのアメリ・モレスモ戦も忘れられないわ。マッチポイントを握られてからの逆転勝利で、結局その大会を優勝することができたの。あの試合は、二人とも本当に凄いテニスを展開したのを覚えてるわ。」
「地元のアントワープの大会のセレモニーが最高のお別れ会だったわ。その後、テニスを続けようと努力したけど、本当に大変だって痛感したの。怪我もあまり良くならないし、テニス人生後の別の人生が迫っているって益々感じたし、試合を続けようとする気持ちがどんどん薄れて行ってしまったの。」
「こうしてテニス人生にピリオドを打つことにしたけど、それほど悲しまないでもらいたいの。だって、自分の新しい人生の幕開けなんですもの。きっとどこかでまた会えるはずよ。最後に一言。何をするにも笑顔を忘れないでね。」
“ファンのみなさんへ。テニス人生を通して、多くの声援や応援、本当にありがとうございました。たくさんの手紙やプレゼント、それから電話などを頂いたことに感謝しています。試合を気に掛けて、夜中まで起きていてくれたり、ドキドキさせてごめんなさいね。本当にありがとうございました。”
考えてみたら彼女は試合が終わると、勝っても負けても常に笑顔を振りまいていたものね。他の選手からも、すごく親しまれていたのは有名な話し。プロに成り立ての頃は、彼女のそんな性格が邪魔をして、トップ選手には上り詰めることができないって言われていたくらい。7月にアメリカ人のバスケットボール選手のブライアン・リンチ氏と結婚するけど、暖かい家庭を築いて欲しいわね。お幸せに、キム!!!
◇プロ・テニス人生9年間で、シングルス34個、ダブルス11個の優勝。
◇ベルギー人として、男女通して初のランキング1位に輝く。
◇1999年、若干16歳で予選を勝ち上がりウィンブルドンでグランドスラム・デビュー。
◇2001年、当時ランキング1位のヒンギスを下し、インディアン・ウェルズの決勝進出。グランドスラムでも始めて決勝の舞台に立つ。
◇2003年、初めて年間獲得賞金額が400万ドルを突破。ナブラチロワ、ヒンギス、サンチェス=ビカリオ、ダベンポートに次いで4人目のシングルス&ダブルス同時1位。
2005年、手首の怪我から復帰し、133位のランキングからインディアン・ウェルズとマイアミの2大会連続優勝を果たし、年末ランキング2位でシーズンを終える。
◇2005年ITFワールド・チャンピオン賞、2005年WTAプレーヤー・オブ・ザ・イヤー賞など、数多くの賞を受賞する。
画像は、彼女のホームページのアントワープの大会のセレモニーから。
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もうみなさんもニュースなどでご存知かと思いますが、キム・クレイステルスが引退を発表しました。これまでは、今シーズンを最後にコートを離れるって言う予定だったんだけど、結婚の準備に追われながらの調整は難しかったみたいね。このtennis365のニュースでも紹介してるけど、そんな彼女のコメントやテニス人生のハイライトをご紹介しましょう。
「テニス人生でこれまで成し遂げてきたことを本当に誇りに思うわ。9年前にプロになった時に、9年後にはこれほどの成績を収めることができるって誰かに言われたら“冗談でしょ!”って言っていたはず。テニス選手になれたからこそ世界中を飛び回って、たくさんの友達を作ることもできたの。それが一番大切に思えることだわ。トロフィーや賞品なんかは比べ物にならないくらい。素晴らしい友達ができたことが最高の喜び。それに加えて、家族の支えやコーチの助けがなかったら、こんな成績を収めることはできなかったし、本当に感謝してるわ。加えて、ファンの方々の声援や、メディアのサポートにも感謝の意を送りたい。」
「テニスに関して言えば、USオープンの優勝と、ツアー最終戦に2回も優勝できたことが何よりも最高の思い出。忘れられない試合は、1999年のUSオープン3回戦で、敗れてしまったけど、セリーナとの戦い(当時キムはランキング98位でセリーナは6位)。ファイナルセットを5-3でリードしていた時は鳥肌物だったわ。2002年10月のドイツの大会の準決勝でのアメリ・モレスモ戦も忘れられないわ。マッチポイントを握られてからの逆転勝利で、結局その大会を優勝することができたの。あの試合は、二人とも本当に凄いテニスを展開したのを覚えてるわ。」
「地元のアントワープの大会のセレモニーが最高のお別れ会だったわ。その後、テニスを続けようと努力したけど、本当に大変だって痛感したの。怪我もあまり良くならないし、テニス人生後の別の人生が迫っているって益々感じたし、試合を続けようとする気持ちがどんどん薄れて行ってしまったの。」
「こうしてテニス人生にピリオドを打つことにしたけど、それほど悲しまないでもらいたいの。だって、自分の新しい人生の幕開けなんですもの。きっとどこかでまた会えるはずよ。最後に一言。何をするにも笑顔を忘れないでね。」
“ファンのみなさんへ。テニス人生を通して、多くの声援や応援、本当にありがとうございました。たくさんの手紙やプレゼント、それから電話などを頂いたことに感謝しています。試合を気に掛けて、夜中まで起きていてくれたり、ドキドキさせてごめんなさいね。本当にありがとうございました。”
考えてみたら彼女は試合が終わると、勝っても負けても常に笑顔を振りまいていたものね。他の選手からも、すごく親しまれていたのは有名な話し。プロに成り立ての頃は、彼女のそんな性格が邪魔をして、トップ選手には上り詰めることができないって言われていたくらい。7月にアメリカ人のバスケットボール選手のブライアン・リンチ氏と結婚するけど、暖かい家庭を築いて欲しいわね。お幸せに、キム!!!
◇プロ・テニス人生9年間で、シングルス34個、ダブルス11個の優勝。
◇ベルギー人として、男女通して初のランキング1位に輝く。
◇1999年、若干16歳で予選を勝ち上がりウィンブルドンでグランドスラム・デビュー。
◇2001年、当時ランキング1位のヒンギスを下し、インディアン・ウェルズの決勝進出。グランドスラムでも始めて決勝の舞台に立つ。
◇2003年、初めて年間獲得賞金額が400万ドルを突破。ナブラチロワ、ヒンギス、サンチェス=ビカリオ、ダベンポートに次いで4人目のシングルス&ダブルス同時1位。
2005年、手首の怪我から復帰し、133位のランキングからインディアン・ウェルズとマイアミの2大会連続優勝を果たし、年末ランキング2位でシーズンを終える。
◇2005年ITFワールド・チャンピオン賞、2005年WTAプレーヤー・オブ・ザ・イヤー賞など、数多くの賞を受賞する。
画像は、彼女のホームページのアントワープの大会のセレモニーから。