2011年11月29日
タチアナ・ゴロバンは今・・・
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将来を期待されながら若くして志し半ばでコートを去ったのが、タチアナ・ゴロバン。彼女は現在23歳だけど、わずか14歳の2002年にプロデビュー。その後は、その才能溢れるプレーで世界の舞台へと駆け上がったの。
武器である強烈なフォアハンドを炸裂させて、2004年には全豪オープンで4回戦に進出。大会期間中に16歳の誕生日を迎えて世界をびっくりさせたわ。
ロシアはモスクワ生まれのフランス人であるゴロバンは、その年の全仏オープンではリシャール・ガスケと組んでミックスダブルスで優勝して早くもグランドスラム・タイトルを獲得して、将来は約束されたかのように思われたの。
その年のスタートは300位台だった世界ランクも年末には27位とあっと言う間にトップ30入り。その後2005年にトップ20入りをするけど、そのランキングをなかなかキープできず、2006年の年末ランキングを22位で終わらせたの。
2007年はまたブレークのシーズンになって、トップ10選手から6回も勝利を飾って、2度のツアー優勝に2度の準優勝を飾って13位でシーズンを終えたわ。
2008年がスタートしてすぐに自己最高位の12位を記録してトップ10入り目前まで来た彼女に襲い掛かったのは激しい腰の痛み。その後はなかなか成績に結びつけず、その夏に行なわれた北京五輪に参加するも、戦える状態じゃなかったのよね。
「あの時は、正に自分の最高のプレーが出来ていた頃でした。2007年の秋にはシュトゥットガルトとチューリッヒで決勝へ進んでトップ選手を次々に倒していて、トップ10も視野に入っていた時でした。オフシーズンは翌年のオーストラリアへ向けてトレーニングに励んでいて、自分自身を楽しんでいたし、自分の可能性へ向けても楽しい時間を過ごしていました。」
と、その時のことを振り返るゴロバン。でも、そんな彼女はその半年後にはコートに立てない状態になってしまうのです。
「その時は半年後にテニスを続けられない状態になるなんて思ってもいませんでした。いったい何が悪かったのか、理解するまでに長い時間がかかりました。そしてそれが、慢性の腰の炎症であり、そしてその治療方法がないことも判明したのです。最後の大会として北京オリンピックに行きましたが、腰の状態が思わしくなく、結局プレーできませんでした。」
「精神的にとても辛いことでした。これまでの人生で一番大切にしていた物が無くなってしまうことは、本当にショックだったのです。もうテニスができないと言う現実を受け入れるまで丸一年かかりました。全てを忘れるためにしばらく休暇を取って、また自分探しをしていたのです。」
そしてその自分探しをやっと終えた彼女は、今は地元フランスのテレビ局でコメンテーターを務めたり、ルキップ紙でコラムを書いたり忙しい日々を過ごしているんだって。
「今年はテレビの仕事をしていて、全仏オープンに行く機会にも恵まれました。自分にとっては良い経験になりましたし、公の場に登場する良い機会にもなりました。そして他のことにチャレンジする機会にも恵まれました。ルキップ紙にコラムのページを頂けて、アスリートやセレブや有名人にインタビューも出来るのです。」
「ツアーにいた時には出来なかったようなことを今はさせて頂いています。そしてもっと家族との時間も過ごせるし、その事もツアーで世界中を飛び回っていた頃には出来なかったことです。南フランスに家も建てて犬も飼いました。友人との時間ももっと取れるようになって、自分のための時間が取れるようになったのです。勉強も好きなので、去年また学校に通い始めました。メディアや政治について学んでいます。今後の生活にプラスになるだろうし、より広い分野にも関わって行きたいのです。」
「新しい生活を始めるのに、1年から2年が必要でした。テニスを離れたことで、大きな穴がぽっかり開いてしまいました。とても大きなショックでした。今はまた新たな道を見つけた気持ちです。」
小さい頃からずっとテニス漬けの毎日で、その類まれな才能から若くしてプロの世界へ飛び込んで、自分の進む道を10代の頃に見つけた彼女。そんな彼女から突然その道が無くなったら、本当に途方に暮れてしまったんでしょうね。
「テニスをするために生まれたら、他のこととは比べることは出来ません。大観衆の前で試合をしたり、勝利を収めたり、大きな大会で勝ったり、ファンと触れ合ったり、毎朝練習に向かったり、それと同じ感覚や情熱を感じることは出来ないでしょう。一番恋しく思うことは、コートに行って激しい練習をこなして汗をかいて、その後のトレーニングで疲れ果てて家へ帰ること。今はそれを味わうことが出来なくなってしまいました。ただランニングに行くことも難しいのです。」
まだ23歳の彼女。もしかしたら近い将来、復帰・・・なんて望むファンもきっと多いはずよ。でも・・・
「一生あり得ないとは言いたくないですね。まだ23歳だし。でも、再びプレーすることは出来ないでしょう。少なくともプロとしてプレーすることはないと思います。」
彼女が負った腰の痛みは彼女しか分からないし、その後に負った心の痛みも彼女しか分かりません。そんな痛みを潜り抜けた彼女が、プロとしての復帰はないって感じるのは、それなりの思いがあるからでしょうね。
今はこうして自分の新たな道を見つけることが出来て、本当に良かったわよね。これからはコメンテーターとしての彼女を全仏の舞台で見ることが出来るかも知れないわね。
そんなゴロバンと同じような慢性的腰痛に悩まされているのがディナラ・サフィーナじゃないかしら?今の彼女は普通の生活を送ることも苦しい状態だとか。まだ復帰を諦めてはいないとは思うけど、彼女も今の苦難を早く乗り越えて欲しいですね!
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将来を期待されながら若くして志し半ばでコートを去ったのが、タチアナ・ゴロバン。彼女は現在23歳だけど、わずか14歳の2002年にプロデビュー。その後は、その才能溢れるプレーで世界の舞台へと駆け上がったの。
武器である強烈なフォアハンドを炸裂させて、2004年には全豪オープンで4回戦に進出。大会期間中に16歳の誕生日を迎えて世界をびっくりさせたわ。
ロシアはモスクワ生まれのフランス人であるゴロバンは、その年の全仏オープンではリシャール・ガスケと組んでミックスダブルスで優勝して早くもグランドスラム・タイトルを獲得して、将来は約束されたかのように思われたの。
その年のスタートは300位台だった世界ランクも年末には27位とあっと言う間にトップ30入り。その後2005年にトップ20入りをするけど、そのランキングをなかなかキープできず、2006年の年末ランキングを22位で終わらせたの。
2007年はまたブレークのシーズンになって、トップ10選手から6回も勝利を飾って、2度のツアー優勝に2度の準優勝を飾って13位でシーズンを終えたわ。
2008年がスタートしてすぐに自己最高位の12位を記録してトップ10入り目前まで来た彼女に襲い掛かったのは激しい腰の痛み。その後はなかなか成績に結びつけず、その夏に行なわれた北京五輪に参加するも、戦える状態じゃなかったのよね。
「あの時は、正に自分の最高のプレーが出来ていた頃でした。2007年の秋にはシュトゥットガルトとチューリッヒで決勝へ進んでトップ選手を次々に倒していて、トップ10も視野に入っていた時でした。オフシーズンは翌年のオーストラリアへ向けてトレーニングに励んでいて、自分自身を楽しんでいたし、自分の可能性へ向けても楽しい時間を過ごしていました。」
と、その時のことを振り返るゴロバン。でも、そんな彼女はその半年後にはコートに立てない状態になってしまうのです。
「その時は半年後にテニスを続けられない状態になるなんて思ってもいませんでした。いったい何が悪かったのか、理解するまでに長い時間がかかりました。そしてそれが、慢性の腰の炎症であり、そしてその治療方法がないことも判明したのです。最後の大会として北京オリンピックに行きましたが、腰の状態が思わしくなく、結局プレーできませんでした。」
「精神的にとても辛いことでした。これまでの人生で一番大切にしていた物が無くなってしまうことは、本当にショックだったのです。もうテニスができないと言う現実を受け入れるまで丸一年かかりました。全てを忘れるためにしばらく休暇を取って、また自分探しをしていたのです。」
そしてその自分探しをやっと終えた彼女は、今は地元フランスのテレビ局でコメンテーターを務めたり、ルキップ紙でコラムを書いたり忙しい日々を過ごしているんだって。
「今年はテレビの仕事をしていて、全仏オープンに行く機会にも恵まれました。自分にとっては良い経験になりましたし、公の場に登場する良い機会にもなりました。そして他のことにチャレンジする機会にも恵まれました。ルキップ紙にコラムのページを頂けて、アスリートやセレブや有名人にインタビューも出来るのです。」
「ツアーにいた時には出来なかったようなことを今はさせて頂いています。そしてもっと家族との時間も過ごせるし、その事もツアーで世界中を飛び回っていた頃には出来なかったことです。南フランスに家も建てて犬も飼いました。友人との時間ももっと取れるようになって、自分のための時間が取れるようになったのです。勉強も好きなので、去年また学校に通い始めました。メディアや政治について学んでいます。今後の生活にプラスになるだろうし、より広い分野にも関わって行きたいのです。」
「新しい生活を始めるのに、1年から2年が必要でした。テニスを離れたことで、大きな穴がぽっかり開いてしまいました。とても大きなショックでした。今はまた新たな道を見つけた気持ちです。」
小さい頃からずっとテニス漬けの毎日で、その類まれな才能から若くしてプロの世界へ飛び込んで、自分の進む道を10代の頃に見つけた彼女。そんな彼女から突然その道が無くなったら、本当に途方に暮れてしまったんでしょうね。
「テニスをするために生まれたら、他のこととは比べることは出来ません。大観衆の前で試合をしたり、勝利を収めたり、大きな大会で勝ったり、ファンと触れ合ったり、毎朝練習に向かったり、それと同じ感覚や情熱を感じることは出来ないでしょう。一番恋しく思うことは、コートに行って激しい練習をこなして汗をかいて、その後のトレーニングで疲れ果てて家へ帰ること。今はそれを味わうことが出来なくなってしまいました。ただランニングに行くことも難しいのです。」
まだ23歳の彼女。もしかしたら近い将来、復帰・・・なんて望むファンもきっと多いはずよ。でも・・・
「一生あり得ないとは言いたくないですね。まだ23歳だし。でも、再びプレーすることは出来ないでしょう。少なくともプロとしてプレーすることはないと思います。」
彼女が負った腰の痛みは彼女しか分からないし、その後に負った心の痛みも彼女しか分かりません。そんな痛みを潜り抜けた彼女が、プロとしての復帰はないって感じるのは、それなりの思いがあるからでしょうね。
今はこうして自分の新たな道を見つけることが出来て、本当に良かったわよね。これからはコメンテーターとしての彼女を全仏の舞台で見ることが出来るかも知れないわね。
そんなゴロバンと同じような慢性的腰痛に悩まされているのがディナラ・サフィーナじゃないかしら?今の彼女は普通の生活を送ることも苦しい状態だとか。まだ復帰を諦めてはいないとは思うけど、彼女も今の苦難を早く乗り越えて欲しいですね!