2011年02月22日
アンチッチの引退と各選手の病気や怪我
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マリオ・アンチッチが引退を表明しました。これまでも度重なる病気や怪我に泣かされ続けていたアンチッチ。2006年7月に自己最高位の世界ランク7位まで上り詰めた彼は、プロテニス人生に終止符を打つと共に弁護士としての人生を歩み始めるんだって。
彼を悩ませた怪我や病気の始まりは2006年8月20日のブログでお伝えした、ジェットスキーでの事故から始まりました。その時に負った怪我が原因で、その後のUSオープンなどを欠場する結果に。
そして翌2007年2月頃から体調を崩し、3月のデビスカップの時に単核球症って診断されてツアー離脱を余儀なくされたの。8月に復帰を果たすも、今度は右肩の欠場でまたしばらくコートに立つことが出来なくなってしまったの。
そんな彼だけど2008年4月27日のブログで紹介したように、2007年の病気と怪我の間に、それまでテニスをしながら通っていた大学の法学部をしっかり卒業していたのよね。
そんなアンチッチは2009年3月26日のブログで書いたけど、アメリカの名門大学であるハーバード大学で臨時講師として講義を開いたこともあったの。それでもまたその年には単核球症が再発。2009年5月を最後にそのシーズンは試合に出場出来ませんでした。
去年はチャレンジャー大会から復帰して、徐々に調子を上げて、3月のインディアンウェルズでは3回戦まで勝ち上がるも、今度は腰の痛みに悩まされて、結局それが今回の引退の引き金になってしまったの。
「もうこれ以上体が耐えられなくなってしまったんだ。テニス人生を終わりにするよ。神様がもうその時だって決めてくれたんだ。自分の腰の状態は、プロテニス選手として戦って行くことは耐えられない状態なんだ。」
アンチッチの兄も一時期ATPツアーにいたけど、彼はそうそうにプロの道から退いて、大学の経済学部を卒業しているの。同じようにアンチッチの妹もトップジュニアで、その後ITFのサーキットを回っていたけど、すぐに勉強するために大学へ進学して、薬学部を卒業している優秀な家系なのよね。
アンチッチはすでに祖国クロアチアの法律事務所で働き始めているようで、今後は国際弁護士として世界の舞台に立つ日も近いかも知れないわね。
怪我や病気と言えば、先週アメリカはメンフィス大会の決勝戦を争ったアンディ・ロディックとミロス・ラオニッチも今週出場予定の大会を欠場することになったの。
先週の決勝戦でラオニッチを7ー6、6ー7、7ー5の接戦で下して自身30回目の優勝を飾ったロディックは、体調不良を訴えて、第1シードで出場予定だったアメリカはデルレイ・ビーチ大会へ欠場を申し入れました。
ラオニッチは昨日のブログで紹介したメキシコはアカプルコ大会へ出場予定だっだけど、アカプルコ入りしてから現地のドクターに見てもらった結果、右肩の痛みが発生しているために、大会を欠場した方が良いと診断されたんだって。
ロディックもラオニッチも3月4日から6日にかけて行われるデビスカップに祖国を代表して出場するために、それまでに体調を整えておきたいって気持ちもあるみたい。
ロディックは敵地チリへ出向いてチリ・チームとワールドグループの準々決勝を行うの。ラオニッチはその下の地域グループ1のアメリカ大陸戦に敵地メキシコでメキシコ・チームと対戦します。
そのデビスカップの準々決勝でオーストリアと対戦するフランスだけど、ガエル・モンフィスが手首の怪我のため欠場で、それに加えてジョー・ウィルフリー・ツォンガもヘルニアのために出場できなくなってしまったんだって。
過酷なプロツアーは、怪我や病気を避けて通れないのかも知れないわね。
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マリオ・アンチッチが引退を表明しました。これまでも度重なる病気や怪我に泣かされ続けていたアンチッチ。2006年7月に自己最高位の世界ランク7位まで上り詰めた彼は、プロテニス人生に終止符を打つと共に弁護士としての人生を歩み始めるんだって。
彼を悩ませた怪我や病気の始まりは2006年8月20日のブログでお伝えした、ジェットスキーでの事故から始まりました。その時に負った怪我が原因で、その後のUSオープンなどを欠場する結果に。
そして翌2007年2月頃から体調を崩し、3月のデビスカップの時に単核球症って診断されてツアー離脱を余儀なくされたの。8月に復帰を果たすも、今度は右肩の欠場でまたしばらくコートに立つことが出来なくなってしまったの。
そんな彼だけど2008年4月27日のブログで紹介したように、2007年の病気と怪我の間に、それまでテニスをしながら通っていた大学の法学部をしっかり卒業していたのよね。
そんなアンチッチは2009年3月26日のブログで書いたけど、アメリカの名門大学であるハーバード大学で臨時講師として講義を開いたこともあったの。それでもまたその年には単核球症が再発。2009年5月を最後にそのシーズンは試合に出場出来ませんでした。
去年はチャレンジャー大会から復帰して、徐々に調子を上げて、3月のインディアンウェルズでは3回戦まで勝ち上がるも、今度は腰の痛みに悩まされて、結局それが今回の引退の引き金になってしまったの。
「もうこれ以上体が耐えられなくなってしまったんだ。テニス人生を終わりにするよ。神様がもうその時だって決めてくれたんだ。自分の腰の状態は、プロテニス選手として戦って行くことは耐えられない状態なんだ。」
アンチッチの兄も一時期ATPツアーにいたけど、彼はそうそうにプロの道から退いて、大学の経済学部を卒業しているの。同じようにアンチッチの妹もトップジュニアで、その後ITFのサーキットを回っていたけど、すぐに勉強するために大学へ進学して、薬学部を卒業している優秀な家系なのよね。
アンチッチはすでに祖国クロアチアの法律事務所で働き始めているようで、今後は国際弁護士として世界の舞台に立つ日も近いかも知れないわね。
怪我や病気と言えば、先週アメリカはメンフィス大会の決勝戦を争ったアンディ・ロディックとミロス・ラオニッチも今週出場予定の大会を欠場することになったの。
先週の決勝戦でラオニッチを7ー6、6ー7、7ー5の接戦で下して自身30回目の優勝を飾ったロディックは、体調不良を訴えて、第1シードで出場予定だったアメリカはデルレイ・ビーチ大会へ欠場を申し入れました。
ラオニッチは昨日のブログで紹介したメキシコはアカプルコ大会へ出場予定だっだけど、アカプルコ入りしてから現地のドクターに見てもらった結果、右肩の痛みが発生しているために、大会を欠場した方が良いと診断されたんだって。
ロディックもラオニッチも3月4日から6日にかけて行われるデビスカップに祖国を代表して出場するために、それまでに体調を整えておきたいって気持ちもあるみたい。
ロディックは敵地チリへ出向いてチリ・チームとワールドグループの準々決勝を行うの。ラオニッチはその下の地域グループ1のアメリカ大陸戦に敵地メキシコでメキシコ・チームと対戦します。
そのデビスカップの準々決勝でオーストリアと対戦するフランスだけど、ガエル・モンフィスが手首の怪我のため欠場で、それに加えてジョー・ウィルフリー・ツォンガもヘルニアのために出場できなくなってしまったんだって。
過酷なプロツアーは、怪我や病気を避けて通れないのかも知れないわね。
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