2006年04月26日
病魔との闘いと熱い友情
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先日スポーツ・チャンネルGAORAで放送された『Real Life on the WTA』で、コリーナ・モラリューのインタビュー(おそらく昨年のものかと…)が放映されたの。で、Pinkyは思い出したわ。去年の全豪オープンでのダベンちゃんとの熱い友情の話。去年のツアーレポートにも書いたんだけど、白血病を克服してコートに戻ってきた彼女の声を見逃した方のために紹介したくなっちゃったの。
2001年のツアーがオーストラリアから始まって3月にはアメリカでのティア1大会に出場したモラリューが体の異変を感じ始めたのがその頃。その後のヨーロッパのツアーでとうとうプレーできる状態じゃなくなっちゃったんだって。
「スポーツ選手だから激しい練習を積み重ねて、痛みなどに耐えながら自分を励まし続けたの。色んな症状を無視しようと努力してた。無理がたたったのか病院へ運び込まれた時にはかなり悪化していたの。でも、やっと診断結果が出たときは敵が何者か分かってほっとしたくらい。それから化学療法や血液製剤などの投与で治療を続けたの。」って白血病と診断された時の精神状態を語ってたわ。
その後の闘病生活を支えたのは家族や友人だったんだって。「私 はラッキーだったわ。家族や大勢の友達から温かく支えてもらえたし、あまり面識のなかった選手からも励ましの連絡をもらえたの。応援してくれる人の存在を知って心強かった。」そうよね、そう言う精神的な支えは大事よね。
こんな要因も加えてたわ。「アスリートは逆境に立ち向かう訓練を受けてるし、浮き沈みの激しい世界での戦いに慣れていて、それが絶対役に立ったわ。目標へ向けて努力する姿勢は同じよ。試合の勝敗と違って命の戦いだけどね。」すごい戦いを勝ち抜いて今、コートに立ってるのね!!!
「今は健康でいることが目標よ。復帰してから何度か肩の手術も受けてるし、健康が一番でテニスはその次ね。」かなり説得力のあるお言葉だわ。そして彼女は こう締めくくってるの。
「ガンの克服を一番の誇りに思ってるの。ウィンブルドンの優勝やランキング1位より凄いことね。これまでの人生で一番の勲章ね。」 素敵!
2005年の全豪オープンではダベンちゃんは友情を大切にして、シングルス&ダブルスと決勝へ進んでいて、体力的にはかなりの限界に来ていたけど、ダブルスを棄権することなく決勝まで戦ったの。シングルスの結果はセリーナに6-2,3-6,0-6と体力の消耗を象徴するかのような結果で準優勝に終わったのよね。
Pinkyこの時のダブルス決勝後のダベンちゃんとモラリューのスピーチで涙したのを思い出しました。。。
(当時書いていたツアーレポートの”Pinky's Remarks”を参照してね)
3月22日のブログでも紹介した『Stars For Stars』の各賞の受賞者の中に「高感度No1賞」に選ばれた女子テニスのリーゼル・フーバー。彼女、愛ちゃんとダブルスを組んでたこともあって日本でも知名度は高いわよね。で、なんでその賞を受賞したのかって言うと、こんな活動をしていたからなの。
南アフリカ出身の彼女はテニス選手を目指してアメリカへ渡り、プロとしてツアーに出始めるんだけど、ダブルスでは成績が上がるのにシングルスではパッとし なかったの。本人もダブルスの方が数段居心地が良いって感じたし、ダブルスだったら世界のトップに立てるって自信もあって1999年にダブルスだけに絞ってツアーを回り始めたの。
2005年、ブラックとのペアーで好成績を上げ、ウィンブルドンで初のメジャー・タイトル獲得にも成功。でも、その直後、以前から痛めていた膝を怪我してしまってツアーから離脱。コーチでもあるご主人と共に治療を続けている同じ時期に、アメリカを2つの大きなハリケーンが襲って多大な被害を出したの。
彼女が現在住むテキサス州近くに多くの人が避難して来たんだって。で、ツアーにも出れない彼女は、たっぷりあった時間を費やして『Liezel's Cause』と言う活動を始めたの。彼女の呼びかけで、ナブラチロワ様やカプリアティ、リサ・レイモンド、ナタリー・デシーなどもすぐに援助してくれたんだって。
フーバーは「表彰されたけど、自分でいいの?って感じだったわ。でも、とても光栄に思ってるの。それでもっと多くの人達を支援できたらって感じるわ。こうした活動が自分の怪我の治療にも功を奏したのも事実。だって自分の状態を考えて落ち込む暇もなかったんですもの。心配事なんかを忘れさせてくれたし、毎日普通に起きていることにも改めて感謝の気持ちを持つことができたしね。テニスが私の人生だけど、人生にはもっと大事なこともあるって教えてくれたわ。」 だって。彼女の活動にも熱い友情があったのね。
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先日スポーツ・チャンネルGAORAで放送された『Real Life on the WTA』で、コリーナ・モラリューのインタビュー(おそらく昨年のものかと…)が放映されたの。で、Pinkyは思い出したわ。去年の全豪オープンでのダベンちゃんとの熱い友情の話。去年のツアーレポートにも書いたんだけど、白血病を克服してコートに戻ってきた彼女の声を見逃した方のために紹介したくなっちゃったの。
2001年のツアーがオーストラリアから始まって3月にはアメリカでのティア1大会に出場したモラリューが体の異変を感じ始めたのがその頃。その後のヨーロッパのツアーでとうとうプレーできる状態じゃなくなっちゃったんだって。
「スポーツ選手だから激しい練習を積み重ねて、痛みなどに耐えながら自分を励まし続けたの。色んな症状を無視しようと努力してた。無理がたたったのか病院へ運び込まれた時にはかなり悪化していたの。でも、やっと診断結果が出たときは敵が何者か分かってほっとしたくらい。それから化学療法や血液製剤などの投与で治療を続けたの。」って白血病と診断された時の精神状態を語ってたわ。
その後の闘病生活を支えたのは家族や友人だったんだって。「私 はラッキーだったわ。家族や大勢の友達から温かく支えてもらえたし、あまり面識のなかった選手からも励ましの連絡をもらえたの。応援してくれる人の存在を知って心強かった。」そうよね、そう言う精神的な支えは大事よね。
こんな要因も加えてたわ。「アスリートは逆境に立ち向かう訓練を受けてるし、浮き沈みの激しい世界での戦いに慣れていて、それが絶対役に立ったわ。目標へ向けて努力する姿勢は同じよ。試合の勝敗と違って命の戦いだけどね。」すごい戦いを勝ち抜いて今、コートに立ってるのね!!!
「今は健康でいることが目標よ。復帰してから何度か肩の手術も受けてるし、健康が一番でテニスはその次ね。」かなり説得力のあるお言葉だわ。そして彼女は こう締めくくってるの。
「ガンの克服を一番の誇りに思ってるの。ウィンブルドンの優勝やランキング1位より凄いことね。これまでの人生で一番の勲章ね。」 素敵!
2005年の全豪オープンではダベンちゃんは友情を大切にして、シングルス&ダブルスと決勝へ進んでいて、体力的にはかなりの限界に来ていたけど、ダブルスを棄権することなく決勝まで戦ったの。シングルスの結果はセリーナに6-2,3-6,0-6と体力の消耗を象徴するかのような結果で準優勝に終わったのよね。
Pinkyこの時のダブルス決勝後のダベンちゃんとモラリューのスピーチで涙したのを思い出しました。。。
(当時書いていたツアーレポートの”Pinky's Remarks”を参照してね)
3月22日のブログでも紹介した『Stars For Stars』の各賞の受賞者の中に「高感度No1賞」に選ばれた女子テニスのリーゼル・フーバー。彼女、愛ちゃんとダブルスを組んでたこともあって日本でも知名度は高いわよね。で、なんでその賞を受賞したのかって言うと、こんな活動をしていたからなの。
南アフリカ出身の彼女はテニス選手を目指してアメリカへ渡り、プロとしてツアーに出始めるんだけど、ダブルスでは成績が上がるのにシングルスではパッとし なかったの。本人もダブルスの方が数段居心地が良いって感じたし、ダブルスだったら世界のトップに立てるって自信もあって1999年にダブルスだけに絞ってツアーを回り始めたの。
2005年、ブラックとのペアーで好成績を上げ、ウィンブルドンで初のメジャー・タイトル獲得にも成功。でも、その直後、以前から痛めていた膝を怪我してしまってツアーから離脱。コーチでもあるご主人と共に治療を続けている同じ時期に、アメリカを2つの大きなハリケーンが襲って多大な被害を出したの。
彼女が現在住むテキサス州近くに多くの人が避難して来たんだって。で、ツアーにも出れない彼女は、たっぷりあった時間を費やして『Liezel's Cause』と言う活動を始めたの。彼女の呼びかけで、ナブラチロワ様やカプリアティ、リサ・レイモンド、ナタリー・デシーなどもすぐに援助してくれたんだって。
フーバーは「表彰されたけど、自分でいいの?って感じだったわ。でも、とても光栄に思ってるの。それでもっと多くの人達を支援できたらって感じるわ。こうした活動が自分の怪我の治療にも功を奏したのも事実。だって自分の状態を考えて落ち込む暇もなかったんですもの。心配事なんかを忘れさせてくれたし、毎日普通に起きていることにも改めて感謝の気持ちを持つことができたしね。テニスが私の人生だけど、人生にはもっと大事なこともあるって教えてくれたわ。」 だって。彼女の活動にも熱い友情があったのね。