2007年09月21日
引退
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今日、2連チャンでブログを書いているのは、Pinkyにとって感慨深い選手が引退するって言うニュースが入ってきたからなの。その選手は、コリーナ・モラリュー。テニスファンなら知っていると思うけど、彼女は白血病と言う命を脅かす病との闘いに勝って見事復活を遂げた選手なの。
彼女は、ジュニア時代は特別注目された選手だったわけじゃなかったんだって。でも、彼女自身が高校を卒業する時に、大学への進学をせずプロ選手としてツアーを回ることを選択したの。シングルスでは1998年の29位が最高ランキングなんだけど、そんな彼女が頭角を現したのはダブルスで、何と2000年にはダブルス・ランキングで1位に輝いたの。
でも翌年の2001年に白血病と診断されてツアーから姿を消してしまったの。でも、そんな彼女を支えたのは、ファンや他の選手からの励ましと応援の言葉だったんだって。
「本当に多くの方々からのサポートには驚いたの。自分からは全く知らない多くのファンからだったり、それまではほとんど交流のなかった選手達からも。病院に缶詰にされているなかで、どれほどの人達が応援してくれているかって言うのは、本当に心に染み渡ったの。あの思いはこれから先、一生忘れないわ。」
辛い闘病生活を乗り越えて、1年3ヵ月後に見事な復活を遂げたわ。
「1年前は髪も抜け落ち力もなく、これからどうなってしまうのかさえ分からない状態だった。でも、ツアーに復帰したことは、人生最大の功績だし、白血病に打ち勝ってプロとしてまたコートに立てたことは、最も誇りに思える瞬間だったわ。」
でも、その後も肩を痛めて手術をしたりと、怪我に泣かされることが多くなって、シングルスでのプレーを断念して、ここ数年はダブルスを中心に世界を転戦していたの。
Pinkyが忘れられないのは2005年の全豪オープン。親友のダベンポートと組んで出場したダブルスでは、どんどん勝ち上がって決勝戦まで進んだの。でも、ダベンポートもシングルスで勝ち進んでいて、シングルスとダブルスで勝ち残る言うことは、肉体的にはかなり過酷。
そんなダベンポートを見てモラリューはダブルスを棄権してもいいと思ったの。でもダベンポートはそれを了解しなかった。ダベンポートは、死の病を克服してコートに戻ってきた親友のために、どうしてもダブルスを捨てることはできなかったのよね。
その感動の模様は、Pinkyがここのブログの前に書いていたブログの2006年4月26日のブログに詳しくお伝えしているので、是非そちらも見て下さいね。そして、その当時書いていた『ツアー・レポート』の2005年の全豪オープンの時のものがあるので、そこでも紹介しているわ。
そのモラリューとダベンポートの熱い友情に当時Pinkyも涙したのを覚えてます。そんな彼女は現役を引退してからもテニスに携わって行きたいんだとか。
「テニスの世界には、プレーをする以外にもそのテニスに関わりながらできる仕事があるの。テレビの仕事もそうだけど、何かテニスに携わる仕事をして行きたいわ。こんなに長い間ツアーにいたおかげで、たくさんの選手とも交流がもてたし、いろんな人とも知り合いになれたわ。」
と、これからもテニスの世界で仕事をしていきたいって思っているみたい。最後に彼女からの素晴らしい、力強いコメントを紹介します。
「白血病との闘いは人間的にも成長できた。新しい人生をもらった気分。もちろん、その病に犯されてしまったことは、幸運とは呼べないけど、その病と戦ってそれに打ち勝つことができたことは、この世界にある何にも比べることができないはずだわ。」
第2の人生も、力強く生きて行ってね!!!
過去ブログ参照:2006年4月26日(ここをクリックしてね)
ツアーレポート参照:2005年の全豪オープン(ここをクリックしてね)
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今日、2連チャンでブログを書いているのは、Pinkyにとって感慨深い選手が引退するって言うニュースが入ってきたからなの。その選手は、コリーナ・モラリュー。テニスファンなら知っていると思うけど、彼女は白血病と言う命を脅かす病との闘いに勝って見事復活を遂げた選手なの。
彼女は、ジュニア時代は特別注目された選手だったわけじゃなかったんだって。でも、彼女自身が高校を卒業する時に、大学への進学をせずプロ選手としてツアーを回ることを選択したの。シングルスでは1998年の29位が最高ランキングなんだけど、そんな彼女が頭角を現したのはダブルスで、何と2000年にはダブルス・ランキングで1位に輝いたの。
でも翌年の2001年に白血病と診断されてツアーから姿を消してしまったの。でも、そんな彼女を支えたのは、ファンや他の選手からの励ましと応援の言葉だったんだって。
「本当に多くの方々からのサポートには驚いたの。自分からは全く知らない多くのファンからだったり、それまではほとんど交流のなかった選手達からも。病院に缶詰にされているなかで、どれほどの人達が応援してくれているかって言うのは、本当に心に染み渡ったの。あの思いはこれから先、一生忘れないわ。」
辛い闘病生活を乗り越えて、1年3ヵ月後に見事な復活を遂げたわ。
「1年前は髪も抜け落ち力もなく、これからどうなってしまうのかさえ分からない状態だった。でも、ツアーに復帰したことは、人生最大の功績だし、白血病に打ち勝ってプロとしてまたコートに立てたことは、最も誇りに思える瞬間だったわ。」
でも、その後も肩を痛めて手術をしたりと、怪我に泣かされることが多くなって、シングルスでのプレーを断念して、ここ数年はダブルスを中心に世界を転戦していたの。
Pinkyが忘れられないのは2005年の全豪オープン。親友のダベンポートと組んで出場したダブルスでは、どんどん勝ち上がって決勝戦まで進んだの。でも、ダベンポートもシングルスで勝ち進んでいて、シングルスとダブルスで勝ち残る言うことは、肉体的にはかなり過酷。
そんなダベンポートを見てモラリューはダブルスを棄権してもいいと思ったの。でもダベンポートはそれを了解しなかった。ダベンポートは、死の病を克服してコートに戻ってきた親友のために、どうしてもダブルスを捨てることはできなかったのよね。
その感動の模様は、Pinkyがここのブログの前に書いていたブログの2006年4月26日のブログに詳しくお伝えしているので、是非そちらも見て下さいね。そして、その当時書いていた『ツアー・レポート』の2005年の全豪オープンの時のものがあるので、そこでも紹介しているわ。
そのモラリューとダベンポートの熱い友情に当時Pinkyも涙したのを覚えてます。そんな彼女は現役を引退してからもテニスに携わって行きたいんだとか。
「テニスの世界には、プレーをする以外にもそのテニスに関わりながらできる仕事があるの。テレビの仕事もそうだけど、何かテニスに携わる仕事をして行きたいわ。こんなに長い間ツアーにいたおかげで、たくさんの選手とも交流がもてたし、いろんな人とも知り合いになれたわ。」
と、これからもテニスの世界で仕事をしていきたいって思っているみたい。最後に彼女からの素晴らしい、力強いコメントを紹介します。
「白血病との闘いは人間的にも成長できた。新しい人生をもらった気分。もちろん、その病に犯されてしまったことは、幸運とは呼べないけど、その病と戦ってそれに打ち勝つことができたことは、この世界にある何にも比べることができないはずだわ。」
第2の人生も、力強く生きて行ってね!!!
過去ブログ参照:2006年4月26日(ここをクリックしてね)
ツアーレポート参照:2005年の全豪オープン(ここをクリックしてね)
同時に引退ということでしょうか。
モラリューはちょうど留学中にテレビで復帰までのドキュメンタリーをやっていたのを見た事があります。
TVの前だからって面もあったかもしれませんが、彼女本当に前向きで
「努力は必ず実を結ぶもの。それまでひたむきに課題をこなすだけよ」
とさらっと言っていたのに心打たれた覚えがあります。
第二の人生も頑張って欲しいです。私も頑張んなきゃ(汗)
連続ブログに連続コメント、本当にありがとうです!!!
モラリューは、別れていなければ、ギメルストブと付き合っているはずですね。
彼も今年のUSオープンを最後に引退して、来年あたり結婚なんて嬉しいニュースが入ってくるんじゃないかしら???
Pinkyも彼女の努力と勇気、ダベンちゃんとの熱い友情に涙しました。
そう言う人の言葉を聞いていると、自分も頑張らなくちゃって思いますよね。
気分一新して、しっかり悔いのないように、毎日を生きて行きなきゃって、Pinkyも自分に言い聞かせました!!!
よくジャパンオープンにも来ていましたよね!
シングルスが準優勝で、ダブルスは優勝した時があったような・・。
ジャパンオープンの大会中に会場へ足を運んだ時、練習を見てたのを
思い出します。練習終わってから声を掛けたら、写真とサインを快諾
(多分、、、汗)してくれました。 近くで見るとかわいくて、でも性格も
良さそうだなと言う印象でした。
知っている選手が引退してしまうのは残念です。
でも記憶に残る選手であることは間違いないですよね。
よくジャパンオープンにも来ていましたよね!
シングルスが準優勝で、ダブルスは優勝した時があったような・・。
ジャパンオープンの大会中に会場へ足を運んだ時、練習を見てたのを
思い出します。練習終わってから声を掛けたら、写真とサインを快諾
(多分、、、汗)してくれました。 近くで見るとかわいくて、でも性格も
良さそうだなと言う印象でした。
知っている選手が引退してしまうのは残念です。
でも記憶に残る選手であることは間違いないですよね。
よくジャパンオープンにも来ていましたよね!
シングルスが準優勝で、ダブルスは優勝した時があったような・・。
ジャパンオープンの大会中に会場へ足を運んだ時、練習を見てたのを
思い出します。練習終わってから声を掛けたら、写真とサインを快諾
(多分、、、汗)してくれました。 近くで見るとかわいくて、でも性格も
良さそうだなと言う印象でした。
知っている選手が引退してしまうのは残念です。
でも記憶に残る選手であることは間違いないですよね。
Pinkyもあの時の全豪は、泣きましたよ!!!!!!本当、感動ものでしたね。
ジャパン・オープンは1998年に準優勝、1999年はベスト4入りしてますね。
ダブルスでも1997年に準優勝、1999年&2000年に優勝してます。
やっぱり性格が良かったからこそ、病気になったときに色んなファンや選手からの応援があったんだと思いますよね。
第2の人生でも、強く生きていってもらいたいですね!